大洲藩の記述で見てみる!
小田には古い建物や風情のある農村風景、
美しい川など魅力的な場所が
数多く残っている。
昔の小田ってどんな町だったんだろう?
内子町史を開いて調べてみることにした。
それが簡単にまとまっているのが、
『内子町誌 うちこ時草子 Ⅲ 「歴史編」』だ。
さっそく、各11村の特徴をみていくことにした。
寺村(てらむら)
古高 :478石7斗3升9合
区分:大洲藩小田筋
産物:米、大豆、麦、紙
寺:清盛寺、慶昌寺
氏神:妙見宮
町村(まちむら)
古高 :24石3斗6升9合
区分:新谷領
産物:米、大豆
寺:清盛寺
氏神:妙見宮
本川村(ほんがわむら)
古高 :591石6斗6升4合
区分:大洲藩小田筋
産物:米、大豆、麦
寺:千如寺
氏神:妙見宮(祭日は8月15日)
中川村(なかがわむら)
古高 :351石8斗9升9合
区分:大洲藩小田筋
産物:米、大豆
名物:材木(ヒノキ、カシ、ケヤキ、カツラ、ツガ)木地器具、鷹、ウド、ワラビ、ワサビ、イワタケ、シイタケ、草花、雪モチ草、カマンクリン山
寺:誓願寺、西照寺
氏神:三島大明神(祭日は8月16日)
上川村(かみがわむら)
古高 :271石7斗9升
区分:新谷領
産物:米、大豆、材木、シイタケ、ソバ、茶
寺:竜蔵寺
氏神:三島大明神
南山村(みなみやまむら)
古高 :180石6斗3升
区分:大洲藩小田筋
産物:米、大豆、竹
寺:願成寺(立石)
氏神:妙見宮?
立石村(たていしむら)
古高 :496石4斗1升
区分:新谷領
産物:米、大豆、紙
寺:願成寺(立石)
氏神:妙見宮?
日野川村(ひののかわむら)
古高 :191石9斗4升1合
区分:大洲藩田渡筋 (改変後 小田筋)
産物:米、大豆
寺:千如寺(本川)
氏神:妙見宮
その他:天満宮の小社(祭は9月25日)、天性院持ちの金毘羅社
大平村(おおひらむら)
古高 :123石3斗4升3合
区分:大洲藩田渡筋 (改変後、小田筋)
産物:米、大豆、トウキビ
千如寺(本川)
氏神:妙見宮?
薄木村(うすきむら) 天保9年より臼木村
古高 :346石6斗2升3合
区分:大洲藩田渡筋 (改変後、小田筋)
産物:米、大豆、タバコ、唐きび
寺:昌福寺
氏神:総津三島宮
雑木林が2箇所あり、銘木が多い
田渡村
上田渡、中田渡、下田渡(天保9年吉野川村に変更)の3ヶ村からなる
古高 :
(上田渡) 79石1斗6升
(中田渡) 138石7升
(下田渡)184石8斗8升
区分:大洲藩田渡筋 (改変後、小田筋)
産物:米、大豆、鮎、紙(田渡紙)
寺:惣津村の秀善寺
氏神:惣津
1740年の様子からわかること
これまで11の村の様子をみてきた。
ここからわかる共通点や特徴をみていく。
米と大豆は全域、紙や材木も
産物の項目を見ると、
米と大豆が全土に広がっていることがわかる。
棚田が多く、これらが江戸期から
続いていたものと考えると、
趣がより深く感じられる。
豆腐屋や、たらいうどんに入れる大豆の習慣が
当時の名残なのかもしれない。
また、紙の生産も寺村、立石、田渡で記述が見られる。
他の文章にも清盛寺の近くに
紙役所があったと記載されており、
盛んに行われていたと考える。
材木も中川、上川、臼杵地区で見られ、
林業の町の片鱗が見られる。
古高TOP3
産物が土地でどれだけ取れたかを
指し示す指標である「古高」。
トップは本川村。航空写真で見てもわかる通り、
谷地の多い小田の土地には珍しく、
平地が広がっていることが要因なのかもしれない。
2位が立石村。面積が広いのもあるが、
山の上付近の日当たりの良さや
案外多い平地の多さが予想される。
後日のインタビューによれば、
住民が多かったのではないかという意見も出てきた。
3位が寺村。本川村ほどではないが
平地が多い点と、小田町村の中心地として
人が集まっていたことも
大きな要因ではないかと考える。
現在の人口では
寺村、本川、町村の順となる。
立石地区のように日当たりや平地といった
農業的要素が江戸時代から今日に至り、
少しづつ人口の大小と関わりが
薄れているのではないかと考える。
その他の気になる点
田渡紙
大洲和紙は工芸品として人気が高かったとされている。
特に書道半紙として名が高かったと聞く。
田渡紙という言葉をあまり聞かないので
非常に気になるものである。
田渡で作られた紙の品質が高かったのか、
はたまた、独自の特徴ある紙を生産していたのか
興味が深まる記述である。
材木
中川に材木が多かったのは
やはり小田深山からの材木であろう。
豊かな雑木林が広がっていたと推測する。
そのほか、臼杵村の古高にも
雑木林の影響があったと推測する。
1960年前後の拡大造林の前の山林が
どのような姿をしていたのか
見て見たいものである。
終わりに
今回は小田の町を内子町の歴史の本一冊の1文から
かいつまんで調べてみました。
おそらく掘れば掘るほど面白いはず。。。
ぜひぜひ、皆さんの知っている小田について
教えてください。
参考
内子町|内子町誌 うちこ時草子 Ⅲ 「歴史編」p80
(1740年に大洲藩で記録された『大洲秘録』の5章に土地のお庄屋の名前と産物を示した「郷中并寺社」を要約したものである。)