小田に人が住み始めたのは
縄文時代という人もいれば、
弥生時代という人もいます。
中世には平家の5女が
逃れてきたという逸話もあるので、
1000年前には一定数が暮らし
いくつもの集落をなして
いたことでしょう。
地名
現在の城の台公園がある大田山が
なまったものではないかという説があります。
江戸時代ごろは
広奴田郷大田山(ひろぬたごうおおたやま)
と呼ばれ、旧広田村と旧小田町が
くっついた形でくくられていました。
川の流れ、地形で考えると、
上尾峠(うえびとうげ)までと考えられるかもしれません。
↓旧広田村の中心部 砥部町役場 広田支所(ひろた交流センター)はこちら
暮らし

穀物類をメインで育て、
野菜でビタミンや食物繊維
川魚で動物性タンパク質をとって
暮らしてきました。
木材の搬出や、薪、楮を出荷し、
外貨を得ていました。
暮らしが大きく変わったのは
昭和20年の戦後以降でしょうか。
さまざまな社会システムの変化、
価値観の変化により、
日用品や食べ物の多くを地域外で
賄うことになりました。
必然的に街中にあった仕事は
外部に消え、小田の町から、
働き盛りの人々が次々と
外に出て行きました。
2005年の町の合併以降は
行政機能も内子や五十崎に移りました。
小田の今後の方針を立てることも
実情は外部の人です。
今後、どんな歴史を作っていくのか
今、小田に生きる人たち次第で、
大きく変わっていくのではないでしょうか?