2021年現在、
小田の人口は約2,000人です。

16年前の2005年1月の平成の大合併当初が
3400-3500人でしたので、
約42%の人口が減少しています。

今後も人口の多い団塊の世代の高齢化により、
人口減少は進んでいくとみられます。

ある人口予測では
20年後には1000人前後の
人口になっている可能性も
あるとのことです。

人口減少前提の町の運営、
豊かな生活の模索をしていく必要があります。

ここで小田の歴史から人口を振り返ってみましょう。
小田の人口を紐解く鍵となるのが、林業です。

町誌によれば、
明治40年、小田の人口は9,000人との記述もあり、
旧内子町よりも人口が多かったことがわかります。
推測ではありますが、
大規模な田畑を耕作できない土地柄で
それほどの人口を抱えていたわけですから、
おそらく林業で丸太を切り出し出荷することで
町が栄えていたのではないかと考えます。

江戸時代の作物の記述を見ても
中川、臼杵、上川村などで材木を出荷していた
表記があります。
中川なので、小田深山が
中心だったのでしょう。

各地の森から切り出し、
対価として得たお金で
商店や加工業が潤い、
経済を回していたのではないでしょうか。

太平洋戦争後、
各都市部の大空襲により、
住宅供給が盛んになります。
また、製材の機械の導入が全国各地で起こり
小田地区にも製材業が10社以上ありました。
材木がお金になる時代の到来です。
また、各地の山で行われた
スギやヒノキを植えると
補助金がもらえる、
「拡大造林事業」も
山にお金を産んだと言えます。

江戸、明治、大正時代と
緩やかな増加傾向にあった人口も
戦後の昭和20年代から昭和30年代半ばまで
一気に増えることになります。
12,000-13,000人の人口に達しました。

その後、林業では格安の外国産材の到来により、
小田の木材の出荷が相対的に落ち込み、
産業としての衰退をたどります。
また、農業でも、昭和30年半ばごろから
農協の計画的な作付けが始まり、
小田の資本が外部へと流れる体制へと変化しました。

小田の町が主要な稼ぎを失ったことで、
若い世代の人口流出が続きます。
歯止めを効かせるために
公共事業の投資や、若松産業の拡大、
スキー場の事業などにも着手してきました。

そして、21世紀に入り、
市町村合併により、行政機能の
ほとんどを失い、100人前後いた
役場職員も現在では支所と自治センターを合わせて、
10名程度となりました。

人口の流出に伴い、
商業や飲食業も各地で閉業が相次ぎました。

今後、おそらく人口が増える方に
転じることはありません。
どのような減らし方にするかが大切です。

例えば、人口の内訳に関しても言えます。
現在高齢化率50%ですが、
若い世代が働きやすい環境、
暮らしやすい環境を作ることで、
高齢化率を下げることはできます。

小田を一度出ていった
かつての若者たちが帰ってきやすい町
その辺りを考えながら
10年20年先の町を思い浮かべるのが
良いのではないでしょうか?